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静岡聖光学院ラグビー部 インド派遣日記
旅のミッション
「ラグビーを通じてインドの子どもたちと交流し、国際支援や世界平和に貢献できる人間となるための資質や感覚を、現地での実体験を通じて身につける。」
活動内容
前半 「部族学校であるKISSとのラグビーを通じた国際交流」 JICA、同志社大学協力
後半 「スラム地区の子どもたちとのラグビーを通じた国際交流」 NPO「結び手」協力
この日記は引率した顧問松山が書いた日記です。参加部員たちのツアー日記と感想は近日中に第二弾としてアップさせていただきます。まずは全体の流れとしてこちらをご一読ください。
と言っても分量が16000字もありますので写真をざーっと流して見ていただき、最後の1割くらいを読んでいただけると幸いです。
(なお、写真の掲載については現地担当者の方々の許可を得ています)
3月3日(1日目)
学年末試験最終日、ついにやってきた出発の日。
20時30分、成田空港集合。タクシーで前泊するホテルへ。地図上は近かったが空港内をぐるりと回っている感じで想像よりはるかに遠い。チェックイン後、ホテルとは思えないドミトリーのような4人部屋で最初のミーティングを行った。この弾丸ツアーは誰かがブレーキになったら終わりだ。
「8日間の全ての瞬間に自分の頭でも考えて判断、提案すること」
「万事受け身にならないこと」
つまりはラグビーの試合中と全く同じ。そんな意思統一を行った。
3月4日(2日目)
5時50分ホテル出発、6時10分着(フライトは9時)。レンタルWi-Fiの手続きや、何かとトラブルがあった場合を想定したので、随分と到着が早い。
トラブル1「自動荷物受付の操作がうまくいかず、3人が足止め」
トラブル2「eビザの控えに顔写真がついていないことが原因?窓口の外国人係員に止められて、なぜか3人だけ延々と交渉&手続き」
何とか荷物を預けて搭乗ゲートに進めたのは8時10分。連続して足止めを受けた手続きで2時間が経過していた。チケットに書いてあるように「90〜120分前到着」だったらアウトだったかもしれない。
「何しろインドだからトラブル50連発くらいは覚悟のうえ」と説明していたが、成田の時点で想定外の連続。インド国内とその前のデリー入国時を想像すると恐ろしい。とにかく時間と心に余裕が必要だ。
9時離陸。見事な青天。最高の景色。疲れている生徒たちはすぐに爆睡。
全く揺れない安心のフライトを経て、13時半に香港着。成田から本来乗る予定だった便が欠便になったため、トランジットで3時間半も待ちとなった。
一旦解散し、各自フードコートで食事をしたり空港内を散策したり。フードコートの食事はほぼ全て1食1000円超えだったので注文をためらったが、「インドではほとんどお金使わないから」と思って注文した。
まったり時間を過ごし、成田と違って実にスムーズに乗り換え。
17時40分デリーに向けて離陸。快適なフライト。流石に少し眠かったが機内食に付いていた激辛ピクルスで目が覚めた(結局これがツアー中最辛だった)。
現地時間21時にデリー着。日本時間なら0時30分。成田でかなり手こずったのでインド入国は覚悟していたけど、想定外に何のトラブルも足止めもなく入国完了。
ゲートの外で待ち構える怪しい男たち。鳴り止まないクラクション。紛れもなくここはインドだ。
森田康貴さん(松山の神奈川県立柏陽高校ラグビー部の教え子。高3時担任も務めた。TOTO社員としてインド駐在5年目)が迎えてくれて、森田さんが手配した会社のお抱えドライバーたちの運転でホテルへ。10分くらい走ったら景色は「インドに来たなぁ」とまた実感する。荒れた手作り小屋のような家、飲食物の露店、野良犬たち。
森田さんはあと2週間ほどで5年のインド駐在任期を終えて日本に帰国する。ギリギリこのツアーの日までデリーにいてくれたのは本当に幸運だった。ちなみに先週森田さんが会社から通達された次の赴任先は、なんと東静岡駅付近。静岡聖光学院の最寄駅じゃないか・・・。広い日本でまさか。偶然か運命か。何だか引き寄せてしまった気がして申し訳ない・・・。
現地時間0時(日本時間4時30分)ホテルにチェックイン。想像していた程度のボロさ。鍵があからさまに壊れていて「何回も鍵とドアノブをガチャガチャやったらいつか開く」という仕組み?森田さんからもらったマンゴーが実に美味しかった。手で皮をむいて丸かじりだ。
時計の針は1時過ぎ、眠くなったのでシャワーを浴びて寝よう。甘かった。これぞインド。シャワーのお湯が出ない。完全な冷水ではないが、ほんのりお湯っぽさがなくはないような、でも冷たい水。46歳にもなって久々の水シャワー。目が覚めた。冷たすぎて寒すぎて、頭を洗うのが精一杯。汚れが染み付いたゴワゴワの備え付けタオルが1枚置いてあったのがありがたい救いと感じた。
3月5日(3日目)
6時起床。ホテルに置いていく大荷物とブバネシュワルに持っていく小荷物に分けた。小荷物といっても2泊3日でラグビーをするための道具が必要。機内持ち込みは7kg 以下の1バックのみ。厳選を繰り返してやっと1つの荷物になった。部員たちの荷物はさらに詰め込んでいるので、絶対に7kgを超えている。「インドの適当さ」を期待することにした。
8時に森田さん手配の車でホテルを出発する予定。昨晩ホテルの人と確認したところ「7:30に朝食を準備できる」との回答。それを聞いて森田さんは「インド人の朝は遅いので、多分準備できないと思います。この国では約束はあまり守られません。あったらラッキーくらいでいましょう!」というインド解説。森田さんの明るく軽くポジティブな言い回しは、いつでも抜群の安心感を与えてくれる。
ところが7:45分になんと?朝食の準備ができたじゃないか。しかも想定外に美味しい。鍵は壊れているしシャワーのお湯は出ないけど、かなりいいホテルだと思うようになった。
ちなみに1泊朝食付きで3000円程度。インドの宿としてはかなり高価なホテルの部類だ。
9時空港着。巨大なガンジー国際空港で搭乗口まで行くのはかなり遠く、空港内を延々と歩いた。トラブルなく発券手続きもセキュリティーチェックもクリア。かなり心配していた荷物7kg以下問題も「そもそもそんなルールがあったのか?」と疑うほど問題なく通過できた。
30分遅れで11時くらいに離陸。サイズは小さいが清潔で機内食の多い満足のフライトだった。
ブバネシュワル着。ここからタクシーでホテルまで移動する予定だが、Uberが未成年だと使えないことが分かった。これは大きな想定外。9人なので1台は生徒だけのタクシーになる。2台Uberを使いつつも生徒だけのタクシーをいかにトラブルなくぼったくりなく目的地まで行かせるか、色々作戦を立てて万全を期していた。
ところがそんな事情を知って、同志社大学からKISSへの派遣コーチとしてKISS入りしている藤井さんが空港まで迎えに来てくれた。ZOOMでしか会ったことことがなかったけど、でかい・・・。大分舞鶴→同志社→サントリーという超エリートラグビー街道を歩んできた方。今回初めて知り合ったが、同期どころか誕生日も3日違い。同じ九州出身で共通の友達も多い。偶然か運命か。そんな藤井さんから3日間安心万全のサポートをしてもらった。
日本で言うなら灼熱の真夏の気候。Uberは使うことなく藤井さんが手配してくれた3台のタクシーでホテルへ移動。デリーの何倍増しで凄まじいクラクションが飛び交い続ける。景色も音も喧騒も「これぞインド」。
ブバネシュワルではデリーのホテルと同じ系列のTREEBOに到着。お湯が出なくて鍵が壊れていたデリーTREEBOとは大違い。文句のつけようのない綺麗な室内。ここの2泊は安心だ。
荷物を置いたら近場の通りや店を散策。一人500ルピー(約750円)渡していたが、最初の買い物で「インドからの軽いご挨拶」程度に、お釣りをごまかされていたらしい(それに気づくことすらできていない部員も)。軽いジャブをくらったね。その授業料は100円くらいなのでよしとしてくれ。
(野良牛↑)
4時半、同志社大学ラグビー部、同志社大学政策学部川井ゼミの学生たち、静岡聖光学院ラグビー部の3者で顔合わせお茶会。川井教授は同志社大学ラグビー部のOBで、この聖光学院のツアーをゼロからサポートし、JICAと連携して道を切り開いてくださった方だ。川井先生の狙い通り、3者が混ざり合い、お互いにコミュニケーションをとってあっという間に仲間になれた素敵な会となった。ラグビー以外の大学生もいることが絶妙な空間を作り出していたのかもしれない。
6時、全員でオートリキシャー数台に敢えてごちゃ混ぜメンバーで、敢えてギュウギュウに詰め込むように乗り込んで夕食会場へ。オートの乗車定員は3名が基本。しかし「追加で50ルピー渡すから4人か5人乗せてくれ」が現地の流儀。現地人の強者は6人乗っているらしい。鳴り響くクラクションと舞い上がる埃と喧騒の中、運転は相変わらずのインド調。お互いねじ込みあってスレスレなのに不思議とぶつからないインドマジック。乗り物も歩行者も動物もそれぞれが速度変化をせず、一定のリズムで動くことで衝突を避ける感覚に達するらしい(日本人がインドで運転したら一瞬で事故になる気がする)。
川井先生イチオシの中華料理レストランへ。同志社の学生たちも「ブバネシュワルで一番美味しいお店」と太鼓判を押すほど。そんな前評判通り、出てくるもの全てがとても美味しかった。
前半のお茶会からさらにこの時間で3者の距離は急接近。お互いの話を紹介しあったり、高校生のお悩み相談に乗ってもらったり、インドについて様々なことを教えてもらったり、進路相談に乗ってもらったり。本当にフレンドリーで尊敬できる素敵な兄貴たち。その中でも圧倒的な魅力と実力、無二のエナジーとオーラを発するのがエミリーさん。経歴が凄まじく書ききれないので割愛。我らがキャプテン武蔵のいくつもの悩みに対して全て真剣に真正面から受け止め、誠実に壮大に痛快に独自のアドバイスを送ってくれた。これほど圧倒的にすごい人物と出会えただけでも幸運と言っていいだろう。本当に素晴らしい夕食の時間だった。
再びオートリキシャーに身を寄せ合い、ホテルに帰着。
翌日からのこの旅の重大なターゲットであるラグビーセッションに向けて早めに就寝(したはず)。今日はシャワーからお湯が出る!この幸せを感じながら、おやすなさい。何人かはすでに(インド特有の)腹痛が始まったようで、ぐっすり眠れないかもしれないけど。
追記:インド滞在中にお湯が出たのはこの1回きりだった・・・。
3月6日(4日目)
早朝5時55分にホテルを出発。歩いて20分のKISS大学へ。とホテルから出た一歩目に大きな試練が・・・。犬が4匹、道を塞いでいるじゃないか。「目を合わせない」「大きな声を出したり走ったりしない」ことさえできれば向かってくることはない。分かっているが、本当に(犬がというより狂犬病が)恐ろしい。そんな目の覚める強烈な第一関門を沈黙で突破してKISSへ。
補足1)KISS 大学=カリンガ社会科学研究所。世界初の部族大学と認定、推定6歳〜23 歳までの 3 万人以上が在籍する。ラグビー部は約300人が所属。
https://kyodonewsprwire.jp/release/201708295095
補足2)同志社大学ラグビー部がJICA(国際協力機構)青年海外協力隊員としてKISSに派遣され、ラグビーを教えている。今回聖光はその活動の一部分にジョイントさせてもらった。
6時30分、ラグビークラブの子どもたちが続々とやってきた。キラキラした目で嬉しそうに「コーチ!」と胸の前で両手を合わせ(合掌)、私たちのつま先を両手で触って挨拶をしてくれる(敬意を示す行為)。KISSのグランドはインドラグビーの聖地のようなところで、国内大会ではここにインド中から集まってくるらしい。
自然とそこかしこで聖光の部員たちとのボール遊びが始まった。そこからは夢物語のような美しい光景の連続。7歳くらいから23歳までの約200人が8つの年齢別グループに分かれ、同志社大学ラグビー部のメンバーが指揮して様々なドリルが行われた。
大はしゃぎでプレーを楽しむ子供たち。200人以上の歓喜と笑顔で満ち溢れたラグビーグランド。順番を争って1回でも多くプレーしたがっている。「ラグビーって、やっぱりこんなに楽しいものなんだよなぁ」と深く強く再確認させられた。日本で耳にする「集中!」「真剣にやろう!」「頑張ろう!」なんているフレーズは存在する必要がない。いつでも真剣に集中し切っている。なぜなら、あまりにもラグビーが楽しすぎるから。この2時間だけで、もう十分インドに来た意味があったと感じられる素晴らしい時間だった。
至福の余韻を味わいながらホテルへ戻って遅めの朝食。部員たちから「インド楽しすぎる」「マジ帰りたくない」という声が何度も聞こえてきた。
朝食がまためちゃめちゃ美味しかった。チャパティ(ナンのようなもっと薄いパン)が絶品。食後のチャイはジンジャーが絶妙に効いていて日本で飲むものとは段違いに美味しく感じる。
すでに溜まってきている寝不足を解消するために昼寝。昼食は各自近所の店で。同志社の川井先生からも聞いたことだが、大都会のデリーとは異なり観光地でもないここブバネシュワルの住人は非常にフレンドリーで、詐欺やひったくりなどの危険度は格段低いらしい。頼んでいないトッピングをして割増請求したり、お釣りをくすねるくらいは可愛いものだ。
14時、ミーティング。短すぎる2日間でKISSの子どもたちと仲間になるために、午後の練習の最初の30分を早速聖光ラグビー部に託してもらうことができた。
そう、ここに来たのは観光ではない。自分たちの研修と勉強のためだけでもない。KISSの子どもたちにラグビーの魅力や面白さ、スキルを伝達するために来たのだ。準備段階から本気の限りを尽くす使命がある。たった4回しかないセッション。すでに1回が終了。コーチとしてのミスを最小限に抑えつつ、1回ごとに私たちがコーチとして成長していかなければならない。
メニュー、それぞれのゴールとキー、場の回し方の工夫、声かけの工夫など、コーチとして必要なことを確認し合った。自分たちの公式戦のようなマインドで臨みたい。
15時半、セッション開始。いきなり想定外。高校、大学にあたるシニアメンバーたちは別メニューとなっていた。人数が減っただけでなく使えるボールの個数も減り、午後からは朝はいなかった5歳くらいのちびっ子たちが参加したため平均年齢が大幅に下がった。
中高大生が楽しめるであろうメニューが多かったが全てカット。頭をフル回転させて内容を変化させた。準備と想定の詰めが甘かった部分からほころびていく。それでも武蔵のエナジーとパッションなどでカバーし、何とか崩壊は防いだ。
メインイベント、高校生タッチフット対決。予想通り?惨敗を喫した。手も足も何も出ない完敗。セブンスに全く向かないFWメンバーばかりの構成だから仕方がない。日本にいるBKたちでベストメンバーを組んで対決したらどうなるんだろう?悔しさと共に再戦を希望する気持ちが出てきた。ちょっと安心?したのは、その直後のKISS最上級生対同志社大学で、KISSが素晴らしいアタックを披露して勝利したことだ。
セッション後、KISSにやられて悔しさが滲む。まぁ客観的に見てもKISSの方がキレキレで見事なアタックをしていたので、切り替えてまた明日頑張ろう。
ここで同志社大学川井先生がKISSをアウト。川井先生とJICA勝又さん(聖光ラグビー部OB、JICA職員で青年海外協力隊を管轄する立場)の2人の熱い想いと厚い支援で、聖光はこの夢物語を実現している。圧倒的な情熱と知性が溢れ出る川井先生と出会えたことは、私にとっても本当に幸せなことだ。
グランドが主要道路から外れた土の道の先にあるからか、Uberオートリキシャーが全く来てくれないので30分近く歩いてホテルへ。夕食は今回も各自。近所の歩き方や店については、私たちコーチよりも部員たちの方がはるかに詳しく、すでにブバネマスターとなってきている。
21時、今日の夜ミーテティング開始。明日は楽しみにしていた午後の最終練習がホーリー前夜祭イベントで急きょ中止となった。よって明日の午前が聖光にとっての最後のセッション。任せてもらえる5グループ(年齢別、各20〜30人)の担当コーチを決め、お互いに話し合いながら全てのメニューとゴール、キーを決めた。
万全と思える準備を作って自信満々に臨み、現場の空気感や状態に応じてメニューを調整していくのがコーチのスキル。まずはこれで大丈夫と胸を張れる準備をしておきたい。話し合いは続き、約2時間の議論の後に解散した。おやすみなさい。
3月7日(5日目)
5時50分出発。昨日より少し早いのは自分たちで早くグランドでセッションのイメージを持ちたいと志願したから。
6時35分、5グループに分かれていよいよ最後のセッションが始まった。自分たちで昨晩考えたメニューを進めていく。準備のおかげか、多くのグループがいい雰囲気で盛り上がっている。昨晩全員で考えて決めたセッションのキーは「競争」と「シンプル」。それが正解だった。
こちらが全力でやろうとしている姿勢をKISSの子どもたちが感じ取り、協力してくれるという面もあった。ドリルの運営がうまくいかず雰囲気が下がっているときでも、女子選手たちは楽しい空気を作るために歌い始め、最高の雰囲気に変えてコーチ役の部員を救ってくれた。
インドの子どもたちはとにかく優しい。こちらがミスしたり負けたりすると、みんなが「コーチ、ナイスプレー!」とそれぞれ個別に声をかけてくれる。私の擦りむいた肘を見て、みんな泣きそうな表情で心配してくれる。心から純粋にラグビーを楽しみ、そこかしこに優しさを見せる。そんな小さな子どもたちの澄み切った瞳と優しさに触れ、感謝と感動が湧き起こる。
同志社メンバーたちのさりげないナイスサポートにも多々支えられて、最後のセッションは盛り上がりのある素敵なセッションとなった
武蔵から相手キャプテンに聖光のラグビージャージ、チームネクタイなどを贈り、最後の挨拶。「今日でサヨナラです。ここを離れてデリーに向かいます。」と挨拶すると、悲しみの声があちこちから漏れ聞こえた。一人ひとり個別にやってきては「帰らないで。ずっとここにいて」と悲しそうな美しい瞳で訴えてくる。本当に涙がこぼれそうになっている子どもも。
「321 Rugby!!」のシャッター合図で、あちこちで記念撮影。
「ラグビーは国籍や宗教を超えてお互いの心をまっすぐに強固に結びつける。仕事や収入、学歴や家族の位など何の意味も持たない。ただラグビーを通じて大好きになった仲間同士。」そんなどこかで聞いたことがあるかもしれないことを、五感をフルに使った実体験として理解することができた。世界中がお互いをリスペクトしてワンチームになれる。綺麗事ではなくそれを真実にできるということを、スポーツは証明してくれる。特にラグビーは。
TVをつければ紛争と人殺しのニュースが続く毎日。お互いを蔑み、まるでそれが必然であるかのように。違う。世界は一つになれる。愛とリスペクトの力は全てを凌駕する。これほど大切なことが他にあろうか。今、自分たちはそのど真ん中にいる。そう思った瞬間、涙が溢れてきたのでベンチ方向に逃げて隠れた。
同志社大学ラグビー部の兄貴たちと
午後は学校見学とホーリー祭の前日(1日目?)イベントに立ち会わせてもらえるということなので、ホテルの1室をレイトチェックアウトで借りて待機。現地のカップラーメンを買い込み、このツアーで初めて訪れたまったりタイム過ごした。
14:30 オートリキシャーでKISSの正門へ。藤井さんのナビゲートでKISSの中に入り、様々な施設・環境を見学して回った。同じ服(布から自分で手作り)を着た子どもたちが3万人。みんな嬉しそうに手を振ってくれる。ラグビーで顔を覚えている子たちとの数時間ぶりの再会はまるで数年ぶりに再会したかのような喜びを感じた。
KISSはオリッサ州にある70近い部族の子どもたちが集まる世界初の部族学校。オリッサ州などの東インドでは歴史的に他国の迫害から逃げてきた避難民部族が多く、100もの言語があるらしい。
そんな背景を持つ部族の子どもたちなので、基本的には経済的に苦しく教育機会も乏しい。そんな状況下でKISSは子どもたちを寄宿舎に受け入れ、学費や寮費、生活費など全て無償で提供している。創始者サマンサ博士のそんな姿勢に共感し、国や企業(三菱商事など)がバックアップしてこの学校を支えている。
そんな学校なので多少の差はあるものの生徒たちは基本的には経済的な余裕がない。だからラグビーの練習でも、スパイクの子とアップシューズの子と裸足の子が混在している。裸足の子がスパイクの子に足を踏まれたらそれは痛い。グランドに硬いゴミや陶器の破片のようなものが落ちていて足を切ることもあるらしい。この2日間でも何回か裸足の子がスパイクの子に足を踏まれて痛がっていたのを目にした。裸足の子どもたちはそれでも裸足でプレーするしかない。使っているボールはどの高校でも捨てるレベルまですり減ってボロボロだ。何とか私たちの力でスパイクとボールを贈ってあげたい。聖光の誰しもがそんな気持ちを抱いた(いい方法を思いついた人は教えてください)。
オリッサ州がスポーツに力を入れているのでKISSもスポーツの価値を大切にしている。ラグビー、アーチェリー、水泳の3つが強化クラブ。立派なアーチェリー場やプールを見せてもらった。
ゴミは広大なゴミスペースに投げ込んで終わり。火をつけて燃やす。ゴミに餌となるものが混じってないか、野良牛があさっている。藤井さんからこの学校の様々なことを教えてもらい、非常に勉強になるとともに考えさせられることが多かった。
その後はホーリーの初日イベントに特等席で見学させてもらったが、デリーに飛ぶ日なので時間に余裕を持って失礼した。ずっとサポートしてくれた藤井さんとはここでお別れ。衝撃的なほどデカい身体なのに低姿勢で丁寧な物腰と対応。プライスレスという聞き慣れた言葉なんかじゃとても済ませたくないほど充実しているこのツアーは、藤井さんのサポートなしでは考えられない。あの優しさと頼り甲斐。部員たちは憧れとして刻み込み、そんな大人を目指してほしい。
3万人の生徒が一同に集合
ホテルで荷物をピックし、タクシー3台でブバネシュワル空港へ。オートリキシャーに乗り慣れたからタクシーは刺激不足かというとそうでもない。このインドの道路事情は一貫してエキサイティング。
20時30分、「ブバネシュワル、めっちゃ楽しかったな。帰りたくないな。」というつぶやきが聞こえる。かつてここまで濃密で学びの多い3日間はあっただろうか?川井先生、同志社の学生たち、藤井さん、その他たくさんの人に支えられた感謝の気持ちを胸に、デリーに向けて飛び立った。機内ではみんな疲労困憊の熟睡。
23時過ぎ、順調にデリー着。こんな時間なのに森田さんが出口で待ち構えてくれており、準備してくれた車3台に乗り込んで3日前と同じホテルへ。道路が大きく、バイクとオートリキシャ、そして歩行者が少ないからか、クラクションの量がブバネシュワルの1/10程度。まるで日本の道路のように思えるほど静かに感じた。
深夜0時過ぎ、ホテル着。久々に自分のスーツケースとの再会はなんだかほっとする。もはや期待していないが相変わらずお湯は出ないので、そのまま就寝。荷物整理をしたらもう2時。明日はホーリー祭本番。おやすみなさい。
説明)ホーリー祭とは世界一過激な奇祭と呼ばれる年に一度のインドの祭り(祝日)。
この日だけは何もかも無礼講。ヒンドゥー教ではご法度とされている飲酒も解禁。カーストも年齢も性別も関係なく、色粉を相手に塗りつけたり色水をぶつけあったり。掛け声は「ハッピー・ホーリー!」。ドロドロの状態でハグ。
3月8日(6日目)
7時起床。初めて5時間も寝ることができた。
ツアーもいよいよ終盤。最も想像ができなかったスラム地区での交流。しかも今日はホーリー祭の日。NPO法人「結び手」の代表・福岡さんの直轄地域ではなく、福岡さんがコネクションを持つ現地NPOの活動を学ばせてもらうことになっている。見学だけ?一緒に遊べる?ホーリーは?色々決まっていないことが多いが、現場の指示に身を委ねるだけだ。
説明)NPO法人「結び手」
「地球上から ”ここに産まれたから” ”ここにいるから” という言葉を無くし、誰もが明日を夢見て眠ることができる世界を創る」をビジョンに、世界の貧困問題の解決を目指すNPO団体。是非↓サイトをご覧ください!
https://sites.google.com/musubite.org/npo/
と、ホテルを出る前にパスポートをフロントに預けるために集めようとしたところで、地獄のような事件が勃発。一人のパスポートが見つからない・・・。昨夜の飛行機のフロントポケットに差し込んだままの可能性が高いと言っている。スーツケースとリュックを全てひっくり返しても見つからない。もしビスタラ航空に問い合わせても見つからなかったら、大変な事態になる。「帰国のための渡航書」という緊急書類で帰国することもできるが、申請に必要な書類を集めるのにも数日かかるだろう。そうなれば本人と英語教員である米山先生を残して帰国し、二人は1週間ほど現地ステイになる。旅の終盤にとんでもない爆弾が待っていた。あれほど強くパスポートは肌身離さず持つように注意を重ねたのに、飛行機の座席ポケットに突っ込んだだと?その軽率すぎる行動がこれからどれくらいの多くの人に迷惑をかけるのか。怒りが湧き起こるが、今やるべきことは情報を整理することと、今日の活動が全つぶれにならないようにすることだ。
NPO「結び手」の福岡さん(中央)と森田さん(左)
そんな地獄事態はその30分後に偶然の幸運よって解決した。森田さんが座っている車の座席ポケットに、なんとそのパスポートが刺さっていたのだ。おそらくこの森田さんの車(運転手はお抱えのインド人ドライバー)で昨晩空港からホテルの移動で使った際に、この座席ポケットにパスポートを突っ込んだということだ。
その座席に今日たまたま森田さんが座ったから見慣れないケースを発見することができた。この偶然がなければ、ビズタラ航空から「何もありませんでした」と回答をもらい、1週間出国できない地獄の事態となっていた。そんな事態を森田さんが強運で解決してくれた。
目的地に到着。車は裏路地の舗装されていない土の道に停車した。目の前には社会科の図説で見るようなスラム地区の景色。「ハッピーホーリー!」車から降りるや否やホーリー祭の洗礼を受けた。どうやら今日は本格的なホーリーに身を投じることになるようだ。
さてパスポートの件、降車から5分程度した後、本人に飛行機ではなくこの車で発見されたことを伝えた。号泣の涙で滲むカラーパウダー。大きな不安が解消されたのは本人だけではない。みんなが心から笑った。
いよいよスラム地区に突入。森田さんが「うわ〜、こりゃリアル・バイオハザードだわぁ」と呟いたとおりの情景。ホーリーの粉のせいでゾンビのごとく紫や赤の顔になっている人たちが荒れた土の狭い道で多数待ち構えている。ただし、みんなが楽しそうに笑っている。いざ突撃!「ハッピーホーリー!」の挨拶で顔、頭に次から次へ集まってくる老若男女から色パウダーを塗りつけられる。水鉄砲攻撃やバケツ攻撃も。こちらも挨拶のように相手のほっぺに塗りつける。そして手を握り抱き合う。
子どもたちが勉強するスペース(最近屋根がついた。それまでは路上)、住んでいる家の中まで現地スラム地区の子どもに案内してもらった。ここでもハッピーホーリーと言って笑顔で色を塗り付け合い、一緒にダンスを踊り、笑顔で手を握った。
空気入れの針が見つからずにラグビーボールを持って来られなかったのは痛恨のミスだった。パスポート紛失騒動のせいで、空気入れの針を落ち着いて探す心の余裕がなかった。
もっと遊びたかったが終了。強烈すぎる1時間だった。スラム地区に入ってそこの子どもたちと遊び、踊り、抱き合う。こんな素敵な経験をさせてもらった。乗車前に再起不能の可能性もある衣類から着替えてホテルでシャワーを浴びてしばし休憩。
15時、森田さんが車2台(いつものお抱え運転手)で迎えに来て、近場の果物屋へ。店頭に並んでいるブドウも勝手に手を出して味見するなど、日本ではありえないことがインドでは普通のことらしい。夜食用のマンゴー9個を買い込み、今度はスーパーマーケットへ。まだ開店前(開店時間はテキトー)だったが、裏口からスーパーに入れてもらうことができた。それぞれお菓子やジュース、土産物を購入。このツアーで初めて買い物らしい買い物。その後はアイスクリームとチャイを楽しみ、この日最後の目的地「サブローさん家」へ。
サブローさんとはもう10年くらい前に知り合った。サブローさんがツアーをアレンジしたセントポールズスクール(イギリス)の日本遠征の際、私が監督を務めていた横須賀高校が対戦した。「坂東武者」というサムライを意識したオリジナルハカを試合前に披露したり、アフターマッチファンクションではオタ芸や浴衣でのダンスなどを披露して最高に楽しい時間を共有した。実はその日しか会ったことはない。しかしそれを機に私がイギリスの学校と関わり続けていたせいか、なぜか「サブローさん」の名前はよく耳にし、Facebookでメッセージを送るなど、ずっと意識していた方だ。
数ヶ月前、イギリスを離れてシンガポールで新しい仕事を始めたと聞いたので「いつか聖光のツアーをヘルプしてくださいよ」とメッセージでやり取りをしていたが、2ヶ月ほど前か森田さんが「えっ?サブローさん今デリーにいますよ」と。森田とサブローさんがつながっていることも不思議だったが、相変わらず国境レベルの環境変化にも臆さない豪快な生き方をしているなと驚いた。
サブローさんも私のことをずっと意識してくれていたようで、この日は「再会を待ってました!」とばかりにホームパーティーに呼んでもらえたという経緯だ。
中央がサブローさん、右が森田さん
海外からの駐在員などが集まる高級な地区の綺麗な高層マンション。玄関を開けると予想外にもサブローさんではない人たちがいた。どうやら森田の所属しているデリー日本人ラグビークラブのチームメイトらしい(と言っても大企業のエリート駐在員や社長)。
豪華で美味しい料理を次々に出していただきながら、デリーラグビークラブの方々から「おっさんの説教」のようでいて実は学びも多い話を伺った(関西弁でふざけた内容のジャブから入るが)。サブローさんからも「生き方」「ラグビーと仕事に共通する大切なこと」「世界平和や国際支援のためにどうすることが大切か」などについて、経験に基づく核心をついたお話をたくさん伺うことができた。不真面目でヒールな男の空気を醸し出すのがサブローさんらしい。
スラム地区の子どもたちと色パウダーまみれで抱き合い、先進国のエリート駐在社員(社長)の方々とホームパーティー。濃密すぎる強烈すぎる5日目が終了。
いよいよ明日が現地最終日。弾丸のように駆け抜けた日々が終わる。ぐっすり寝て、全力で満喫したい。おやすみなさい。
3月9日(6日目)
いよいよ最終日。誰もが「早かった。あっという間だった。」と口を揃えるが、疲れもピーク。スパイスだらけの食事がボディブローのように効いてきたのか、もうすぐ終わる気持ちの緩みか、連日の疲労によって免疫が下がったからか、次々に体調を崩し始めている。こんなにもエキサイティングなツアーはこの長さが限界だったかもしれない。
8時、森田さんが手配した車2台(いつもの2台は森田さんの車と実はサブローさんの車)に乗車し、JICA(国際協力機構)デリー事務所を訪問。ハーフパンツの高校生たち相手にネクタイ姿のJICA職員の方々が非常に丁寧に接してくださった。JICAやユニセフなどの公的機関でなくとも、民間の様々な業種が途上国の支援に貢献しているということなどを学んだ。
10時30分、JICAを発ちいよいよこのツアー最後の活動、スラムの子供達との交流に向かった。昨晩サブローさん宅で出会ったデリー日本人ラグビークラブの方から空気入れを借りることができたので、今回はラグビーボールを持って。
12時、昨日とは異なるスラム地区に到着。建物の1Fに広い駐車場のようなスペースを発見。ここはたくさんの子どもたちが勉強する場所のようだ。「結び手」の福岡さんが待ち構えてくれていた。ここで学ぶ子どもたちの中には、元々は路上で物乞いをしたり、ゴミをあさって売れるものを拾うなどして生きてきた子どももいるらしい。
そんな子供たちが歓迎の踊りをたくさん披露してくれた。相手から「何かそちらからのパフォーマンスはある?」と聞かれ、4名でダンスを披露。つい3週間前に体育のダンスの授業で踊っていたダンスを披露した。たまたま持ちネタがあって本当によかった。
その後、ラグビーというスポーツの紹介があり、教室内の近距離でラグビーボールを使ったパス交流が行われた。しばらくすると「あちらにもう少し広いスペースがあるので」と提案があり外へ。ゴミをあさっていた野良牛たちは空気を読んで優しく場所を譲ってくれた。
パスだけでなく、キックやリフトなどで大盛り上がり。ヘンテコなボールは子どもたちの心を掴み、ブバネシュワルの子どもたちのように順番を争ってプレーをしたがった。スラムの子供たちと地球のはるか彼方からやってきた外国人がラグビーを楽しむ。子どもたちの美しく輝く瞳と弾けるよう笑顔を見ると、大きな嬉しさと感動が込み上げてくる。
教室としている場所に戻り、ラグビーボールやジャージなどのギフトを渡した。再びおもてなしのダンスが次々と披露され、子どもたちから今日のために書いてくれたらしきポスターのようなものを頂いた。
「結び手」福岡さんの協力のおかげで、連日とてつもなく貴重で幸せな経験をさせてもらった。スラムの子どもたちにとっても、日常のルーティンから外れたイレギュラーな遊びを楽しんでもらえたようだった。ラグビーは笑顔。ブバネシュワルの子どもたちを思い出した。
この経験から何を理解し、何を獲得し、自分はどうアクションを起こすのか。部員たちは大きなきっかけをもらった。
森田さん手配の2台に乗ってお勧めのカレー屋へ。確かに美味しかったが、このツアーの食事で一番辛かった。一部の生徒には辛すぎて食べられないほど。森田さんは「あまり辛くしないで」と厨房に伝えていたのだが。辛さと量の多さでもう食べきれないから残すしかないと思ったとき、さっきまで一緒に遊んでいた子どもたちの顔がよぎった(持ち帰りの折詰にできた!)。
16時、ホテルへ帰着。ブバネシュワル同様、1部屋だけレイトチェクアウト。9人で1室にこもり21時までの長時間、心身を休めた。体調不良者たちには貴重な睡眠時間となった。
21時、森田さんによる配車とお見送り。このツアーのために数ヶ月前から途方もない時間と労力を割いてくれた。デリーの計画はほぼ全て森田さんが立てて、完璧にサポートしてくれた。国内線チケット手配からホテルの下見や現地通貨(ルピー)の準備、何から何まで全てやってくれた。どんな時も笑顔。どんな時もポジティブ。どんな時も軽快。どんなピンチでも「出たとこ勝負で行きましょ〜!」と笑う。素敵な大人の姿を見ることができた。まもなく人事異動で静岡に来るので、全員でしっかりお礼の何かを考えよう。
22時空港着、相変わらず流れない空港検査。それでも搭乗口までたどり着くことができたので、一旦解散。空港内で時間を潰した(動く気力がなく、ほぼ休んでいた)。
深夜1時30分、フェルミネンゲ(さよなら、また会おう)インド。大学時代に世界中を歩き回った森田さんが「インドは世界一ストレスが多く、万事スムーズに回らない国。ここを経験したら他の国は大したことないですよ」と笑った。そんなインドだが部員たちは「インドめっちゃ楽しかった」「帰りたくない」などの想定外の感想だった。
このツアーの最後の関門と思っていた香港での「70分乗り換え」という実はちょっとリスキーな乗り継ぎもうまく行き、体調不良者たちもギリギリ持ち堪えている。
日本時間16時、成田空港着。無事に全員で生還。不自然なほどトラブルが少なかったのは、森田さんはじめサブローさん、川井先生、藤井さんなどたくさんの方々が私たちを手厚く献身的にサポートしてくれたから。海外に出てもラグビーの仲間が全力で助けてくれた。
身体は疲労でフラフラ。でも日本に着いたからもう何とでもなる。
入国ゲートを無事に通過したところで解散とした。7日前の出発の情景を思い出す。
心と思考、価値観、タフさ、優しさ。
間違いなく7日前とは異なる自分がここにいる。
「彼らが一番欲しているものは何だろう」
「彼らが一番楽しいことは何だろう」
「ただのいち日本人である自分ができることは何だろう」
このインドに来て、9名で考え続けた。今回のようなダイレクトな経験は今後ないかもしれない。JICAやユニセフのような開発途上や国際支援を担う公的機関に就職する可能性はおそらくゼロに近いかもしれない。しかし、インフラ整備業だけでなく金融でもITでもメーカーでも、たくさんの仕事が結果として途上国の経済や社会を支えることに繋がっていることを知った。大それたことをしなくとも、世界の貧困や飢餓などの問題に貢献する道はあることを学んだ。そして「いま自分の目の前にある自分のやるべきことを本気でやり切る」ことが世界平和と国際支援に繋がるということを理解した。
もしかしたら行き着いた答えはすでに社会科の教科書やJICAやユニセフのパンフレットに載っているようなことだったのかもしれない。しかし私たちは今回、机上の理屈ではなく身体を使って生の経験で学んだ。
ブバネシュワルでラグビークラブの子どもたちを楽しませるために全力でメニューを考え、素敵なお兄さんコーチになろうと自分の殻を破ったこと。KISSの子どもたちが何度も何度も別れを惜しんでくれてこちらも泣きそうになったこと。
ぐちゃぐちゃの色パウダーまみれでスラムの子どもたちと遊んだこと。野良牛たちがゴミをあさる広場で子どもたちとお互いに笑顔でラグビーボールで遊んだこと。スラムの子どもたちが素敵なダンスとギフトを自分たちに贈ってくれたこと。
同志社の川井先生、藤井さん、結び手の福岡さん、エミリーさん、サブローさんや現地社長の陽気なおじさんたち、そして森田さんなど、凄まじい魅力と実力を兼ね備えて世界で活躍する大人たちと知り合い、人生の貴重なアドバイスをもらった。
同志社大学ラグビー部や同志社大学川井ゼミの優しくも頼もしいお兄さんたちを慕った。ラグビーの絆はたとえ異国の地で初対面であったとしても、喜んで全力でサポートしてくれるということも実経験として知った。
そんな何もかもがプレイスレスで、人生にとって極上の経験となった。間違いなくこの8日間は生涯の宝物となった。
JICAが掲げる「性別や社会的な立場などの制約を受けず、みんなが等しくスポーツを楽しめる平和な社会を実現します」という夢のようなビジョンは、決して夢ではなく実現しなければならないと強く思った。スポーツがお互いのどんな違いをも乗り越え、その瞬間ばかりは困難な日常のことを忘れて共に笑い、友情を育むことができるということを体験として証明した。
そしてまたいつか世界の友たちの力となるために、お互い手を繋ぎ力を合わせて平和と幸福な社会を目指すために。
「自分の目の前のやるべきことをやり切る」新しい自分が、明日から始まる。
デリーでの最終日のこと、チェックアウト後の狭い荷物部屋に身を寄せ合ってフライトまでの時間を潰しているとき、腹痛を抱えながらも藤田武蔵がオンラインで塾の講義を鋭い眼差しで受けている。明日を待たずに、もう走り始めていた。
インド派遣を終えて(生徒日記&感想)
インド派遣日記 生徒版
今回は部員たちが書いた記録です。軽いタッチの日記の最後に、ツアーを終えての感想を真剣に書いています。
1・2日目 壱悟
インドに行くとなってからワクワクが高まっていったかが近づくにつれ不安も増えていった。授業が終わり新幹線に乗ろうと最後の準備中も不安が増えすぎて、ネガティブなことばかり言っていた。その状況の中、新幹線に乗った。インドツアー1週間の始まりだ。久しぶりの新幹線にワクワクし、退屈に感じなかった。何より駅弁の鯛飯がうまい!成田についてからは、いよいよだと思い緊張し、寝につきにくかった。
翌朝、成田空港からデリーに向け出発!と思いき早速VISA関係でトラブルに出くわした。4時間のフライトの末たどり着いたのは香港空港。香港で食った"肉まん定食"と"焼きそば"は値段の割に味はそこそこだった。香港からデリー行きの便に乗り、インドを目指した。その間の機内食に"緑のジャム?"が出た。このジャム?は、とても辛く藤田と一緒に悶絶した。そして合計10時間のフライトによってインド・デリーに到着。ホテルは、まぁまぁキレイだが水道が臭かった。初めての海外フライトがまさかの10時間越えで、海外旅行はこんなにも移動だけで疲れるとは思わなかった。こうして移動だけで1日目は終わった…
3日目 真臣
初めてインドの料理を口にしました。カレーにナンのようなパン、細い麺を細かく刻んだご飯のようなものが出ました。日本のカレーよりはスープ状になってて味はすごい美味しかったです。そのあと初めて口にしたせいかずっと胃と腸がむかむかしていました。初めて食べる物に体が慣れていませんでした。
空港では荷物検査の方や従業員の方が服のワッペンを見かけてくれて「Japanese Rugby player!?!?」と話しかけてくれて素直に嬉しかったです。空港の購買では列には並ばず横割りしてくる人が多数いたので負けずに割り込み俺だ俺だと注文をしました。注文するだけでもこんなにも難しいことなのかと痛感しました。
1番この日1番印象に残っているのは空港からホテルに行く時のタクシーです。人数の関係上、3台中1台だけ先生方が乗れないため目的地に行くかも分からないタクシーに乗りホテルに向かいました(後日記:この3台は同志社大学藤井さんが手配してくれた特別車なので大丈夫でした)。乗ってる途中Google mapで必死にこっちだこっちだと、目的地に向かって奮闘していました。街中は貧しいストリートチルドレンや腕がない子供、大人、ほんとに小さい3歳児が道の真ん中で座っていたり、日本では絶対見られない光景に胸を打たれました。なんとか必死に戦った結果無事目的地に着きました。幸い運転手の方は良い方で会釈をしたら会釈し返してくれて嬉しい気持ちになりました。
そのあと自由時間があったので少し街を散策しました。サーティワンとバーガーキングに行ったんですが、どちらともかなりの金額を気づかないうちにぼったくられていました。表示価格と違うこと、お釣りが帰ってこないことがありました。
その日の夜に同志社大学の方々と食事をする機会があり、インドの乗り物オートリキシャで中華料理店に向かいました。移動している時、ラグビー4人が小さい乗り物に乗っていたため道のど真ん中でエンストして、俺はここで死ぬのかと覚悟したくらい道の真ん中で止まったことは忘れられない経験になりました。そうしてインド3日目が終了となりました。初めて触れる文化に初めて食べる食事。さまざまな真新しいことが身近に感じられて身体の負担も大きかったぶん得られる学びや衝撃が多かった日でした。
4日目 凌汰
今日は朝の6時半と早い時間からKISSの子供たちと初交流しました。グランドに着いて数分経ったらたくさんの子供たちが歩いてグランドに来てきました。そしてラグビーをする準備が出来たらすぐにグランドに行きラグビーボールを使いパスやキックなどをやっていた。僕達は子供たちと初対面だったのですがすぐ話しかけてきてくれたり、ボールを持ってきてパスやランパスをしようと言ってくれました。パスやランパスの時から沢山楽しんでくれて10本くらいランパスしてもずっと元気でとても体力がありました。
そして練習が始まると日本のラジオ体操から始まりみんなで声を出し元気よく体操をしました。次に高校生だけ・大学生だけ・女子だけ・中学生以下に別れて同志社の人が考えた練習メニューに参加しました。中学生以下ではこの中でまた5グループに分けて私は7から9歳くらいの男女の子供たちと一緒に練習をしました。
最初から私と一緒に楽しみにながら練習をしてランパスの時にパスミスや練習のルールを把握していない子供がいた時に他の子が注意をしていて全員がラグビーを上手くなりたくて練習の最初から最後までを本気で取り組んでいてモチベーションがとても高いと感じた。
そして練習を見学している時にも練習に入ってと沢山誘われとても嬉しかった。練習が終わったらまたパスやキックを蹴っていてラグビーに対する思いが日本とは違うととても実感した。しかし気になったことが1つある。それはラグビーをする環境が全員バラバラな事です。スパイクを履いてる子供やアップシューズの子供や裸足の子供までいた。これは日本では見ないことでとても衝撃でした。だがスパイクを履いている、いないは何も関係なく全員同じことをしていて凄いと思った。
午後は最初のアップのところを私たちで仕切ることになり、どんな事をしたらいいかなど考えてからグランドに向かった。そして練習が始まるとボールの数や沢山人がいるため所々で別の事をしているなど問題が起こり、コーチをするのは難しいと感じた。アップの後は私たちと同年代の人達の練習に混ざった。その時感じたのは一人一人の身体能力が高く足の速さや瞬発力やバネが優れていた。だか、基本的な技術はまだまだ上達途中だが沢山のことに挑戦していて凄いモチベーションだと思った。
その後同年代の人達とフルコートのセブンスの試合をした。KISSの人達はボールを持ったらキレキレのステップで相手を揺さぶりスピードで抜きにきて私達は2人掛りでやっと1人止めれました。また、自分たちがミスをしてボールを落とした時の反応速度と拾う技術がとても優れており、自分たちが少し落ち込んでる間に拾われてトライまで行かれてしまった。そして結局試合は負けてしまったがたくさんの事が分かりこれから自分たちもKISSの人達ももっと上手くなると思いました。
その後に同志社ラグビー部とKISSの大学生の人達がセブンスで戦っていたのだか負けていた。ゴローさんも試合に出ていてキレキレだった。今日のKISSの子供たちとラグビーをしてみて今のインドの現状やその現状で過ごしてる人の事が沢山しれとても充実した1日が送れた。この後のインドでも沢山の経験を積みたいです。
5日目 凜太郎
今日は朝6時からラグビー、午後はKISSの学校と寮に行かせて頂きました。昨日もラグビーの練習を同志社大学の人たちが考えたメニューを一緒にやりましたが、今度は自分たちがメニューを考えて実行する番です。僕達はシンプルand競争というキーワードを元にメニューを考えました。僕が担当した4歳位の子供たちはリレーやボール回しゲームで盛り上がりました。同志社大学の人たちの凄さを感じたとともに、英語などの言語の大切さを知ることが出来ました。
練習が終わってデリーに戻ることを知った子供たちは悲しい目をして英語で帰らないでと言ってきました。自分たちが来たことで子供たちが喜んでくれることが分かり嬉しかったです。
そして、午後はKISSの学校に行きました。3万人近くと生徒がいるKISSに通っている子供たちは無償で衣食住、勉強、スポーツをすることができます。学校には、学ぶ教室や遊具もあり、遊具は日本のものよりも楽しそうでした。今日はホーリー祭前日ということもあり、全校生徒が集まる時がありました。生徒たちの元気の良さと笑顔が心に残っています。生徒たちは本当に元気で何もかも楽しそうにやっていて、見習う姿勢ばかりでした。
明日はホーリー祭、とても楽しみです。前日なのにカラフルな人たちをみて不安と楽しみ五分五分です。
6日目 優太
一日の始まりはパスポートの紛失でした。僕の頭の中は真っ白になり雰囲気も地獄そのものでした。しかし予定を大きく変更することは大変難しくそのままスラム地区に訪問しました。
この日はホーリー祭という国全体を上げて行う祭りでスラム地区でもその文化は変わらず多くの子供たちが色のついた粉や液体、泡の出てくるスプレー(←これが一番強烈でした)などを笑いながらかけてきてくれてこっちも熱くなってしまいました( /^ω^)/♪♪
そこで子どもたちに勉強を教えている方にお話を聞いたところ 「この子達が物乞いにならなくとも生活して行けるように」などのことを話しており来る前は階級社会であると聞いていたのですが本当に上下関係が激しいと思いました。
その後にはマーケットに訪れたのですが記述の時間からしばらく経ってもシャッターは閉じたままでした。すると中から警備員の人が出てきて裏口から入ることができました!!インドの人は僕と同じで時間にルーズだということを肌で感じる出来事でした。
最後にサブローさん宅への訪問です。ものすごく優しく僕たちを出迎えてくださりとても大事なお話を多くしてくださいました。その中でも適材適所、得意な人が自分のできることを精一杯こなすというお話がとても印象に残っており自分が普段の生活や学校、ラグビーなどで何ができるのかものすごく考えることができました。
パスポートは前日に乗った森田さんの車の座席ポケットにありました。
7日目 順正
今日はインドのJICAで一番大きい所に行った。30分前にJICAのビルに着いた。時間が余ったので、街を散歩した。散歩していたら、子供の物乞いに出会った。直接語りかけられたのは初めてだった。その子はこうでもしないと食べていけない環境にあるということを考えると悲しくなった。
そうしているうちにJICAに挨拶する時間が来た。JICAでしていることを聞いた。技術協力、有償資金協力と無償資金協力だ。技術協力は、インド人を日本に連れてきて技術を伝えることと日本人技術者をインドに連れてきて技術を伝える方法があり、インフラ整備などの技術を教えている。さらにインドは成長の伸び代がすごい国で、国のGDPも、今アメリカ、中国、日本と並ぶところ日本を追い抜かそうとしている。
今JICAはインドのインフラ整備に力を入れて、今は新幹線の開発を進めている。その資金は有償資金協力で大きな開発を進めるときに有償資金協力をしている。これは開発が終わったら少しずつ返済しなければならない。JICAの計画は、新幹線で人を動かして新幹線の各駅周辺を栄えさせることだそうだ。そうやってJICAは、ただ目の前の事を助けるのではなくJICAがいなくなっても永続的に発展できるようにすることが目標と言っている。なので上から目線であれやれこれやれと言うのではなく、フラットな立場で現地の人と一緒に開発を進めるようにしているそうだ。
最後に、無償資金協力は、学校や現地の衣食住の手助けを無償で行っている。わかりやすいJICAの援助だと思う。私は無償資金協力の方がメインだと思っていた。しかしこれからJICAがいなくなったあともインドが発展できるように、行っている未来のためのインドの開発は規模が大きくJICAでしかできないと思う。0
その後インドのスラムに行った。彼らは僕たちに席を用意してくれて、現場を話してくれた。生徒数90〜95人の学校のようなところ以前は物乞いだった子供たちも通っているらしい。見て感じたのは前日に行ったスラムより環境がいいスラムで制服もあった。これを始めた時は道路や空き地で授業をしていたらしい。しかし資金者の援助で家を借りて授業を屋根のある環境でできるようになったそうだ。現地NPOの方が2人の女の子を紹介してくれた。彼女たちは公共の運営する学校に入れる年齢だが、今まで教育をまともに受けられなかったため、公共の学校に入っても授業のレベルについていけない。だから我々はここの子供たちを公共の運営する学校に戻してあげることが目標である。と話してくれた。この活動を2年間してきて10人の生徒が学校に通えるようになったそうだ。
その後子供たちとラグビーボールで遊んだ。パスを回したり、キックしたりして遊んだ。ラインアウトで上に飛ばすこともした。そこで子供たちの体が細く十分な食事がないことを改めて実感した。僕らから見たら決して幸せな環境ではないのに、楽しそうにラグビーボールで遊んだりしているところを見ると幸せの水準をあげるために自分にできることはしてあげたい。
実際に現場を見て問題解決のために行動できるJICAや福岡さんのことを心から尊敬します。インドでは、日本では考えられない環境が普通でその中でできる限りのことを一生懸命に生きていた。今回のインド交流研修で実際に見なければ感じられなかった空気感、現地の大変さ、問題解決に動く人々の取り組みを間近で感じられてとても良い経験をしたと思います。
8日目 武蔵
最終日です。デリーの空港に9時半くらいに到着して朝1時に飛行機に搭乗するという流れでした。空港まで2グループに分かれて向かいました。到着した瞬間に私のグループの2名が腹痛を訴え、携帯を唯一使用できる私が付き添いをしました。この時、私も腹痛に襲われ体調を崩していたため、めちゃくちゃ体調の悪そうな3人組だなと思われたと思います。腹痛が治るわけもなく、頑張って3人で手続きへと向かいました。
出国審査が済んだ後、自由行動となりました。この時に食べたケンタッキーがよくなかった、、、腹痛なのになぜ辛いインドケンタッキーを食べたのかその時の自分に聞きたい。飛行機に乗った瞬間に、ケンタッキーを食べた私ともう1人トイレへ駆け込む。インドから香港までの飛行機の中は、本当にしんどかったです。ほぼ全員体調が悪そうでした。香港に到着後、トランジットの時間が50分にも関わらずトイレへ行きました。みんな瀕死の状態でしたが、飛行機に無事搭乗することができました。
私の兄の家が神奈川にあるため、この日は兄の家に泊まりました。一緒に日本食を食べに行き本当に幸せでした。家に到着すると風呂を沸かしてくれており、これまた幸せ。湯船の大切さを感じました。インドから帰国する際には、日本食と湯船が必須だと思います。インドの良さと日本の良さ、両方を身をもって勉強できた最高の研修でした。
感想
武蔵
このインド派遣を通して私が学んだことや感じたことを書かせて頂きます。私はインドへ行き1番子供達の笑顔が印象に残りました。私達が出会った子供達は、経済的に苦しい状況下置かれており、多くの日本人には想像もできないような生活を送っています。
その子達が常に笑顔で、自分は幸せだと言っていました。悲しく辛かったです。自分は生涯をかけてこのような貧困に苦しんでいる人を救いたいと思いました。
二つ目は、ラグビーの素晴らしさです。ブバネシュワールのKISSへ訪れた際、小さな子供から成人まで全員ラグビーを楽しんでいました。この子達の楽しみは、食事とラグビーだそうです。私もラグビーというスポーツを心から楽しむことができました。
また、現地でお会いした日本人の方々は吾朗さんがラグビーを通して仲良くなった方々で、ラグビーが作ってくれる人と人との繋がりの素晴らしさも同時に感じました。
最後は自分についてです。
インドで狂犬病や食事、道路を歩く際に何度も命の危険を感じました。インドは本当に素晴らしい国で、出会った人々も温かく帰国するのが辛かったです。しかし、日本に帰ってきて日本という国の安全性を強く感じました。親や家族のサポートのありがたみを感じました。
私はまだ何も社会や世界のことを知りませんし、本当に抽象的ですが、自分が死ぬまでの間に少しでも世界を良くしたい。インドで出会った人々と次会う際に、胸を張って会えるよう日々精進します。
壱悟
このインドツアーは私に「幸せ」を与えてくれた。私は今までゲームができ、ラグビーができることが幸せであった。しかし、現地のスラムに住んでいる子供達やKISSの子供達は私が考えていた幸せとは違っていた。
KISSの子供達の場合、勉強や運動ができる環境があり、食事もとれる。この環境での幸せは、運動や勉強であるがその中でも食事がいちばんの幸せであった。話しの話題でよくでるほどだ。
次にスラムの子供達はの場合、勉強ができる環境がある程度整えられている場所もあるが無い箇所の方が多い。この環境での幸せは、同じように食事と今回のような外部からのイベントだった。スラムでは毎日同じことの繰り返しであるが、外部からのイベントがあると日常と違うため大変幸せなのだという。
このように、私が考えていた「幸せ」とは違いそれぞれの「幸せ」があり「苦労」がある。そして現地の子供達は「苦労」を感じさせないパワフルさがあり、私はこのパワフルに圧倒された。このパワフルさが「幸せ」を作っているのだと心に強く思い残した。
次に私は今回のインドツアーを通して将来は子供達の手助けであったり、教えれることをしたいとこれまでより一層強く思った。やはり一番の理由としては、現地の子供達に勉学や道徳が行き届いていないから。小学5年生なのに勉学は小学5年生に達していない子供がいた。他にもスリをする子などがいた。日本では義務教育があるため中学生までは受ける義務がある。しかし、インドには義務教育がない。そのため、学校に行けずそのまま大人になってしまう子がいるそうだ。そのような子供がいると聞いた時、私ができることはないのだろうかと考えた結果、私の将来の目標である教師が向いていると分かった。私は教師になり子供達に少しでも勉強を教えたいと思う気持ちが一層強くなったインドツアーだった。この体験は私の人生にとってとても大切で衝撃的な初海外となった。
凜太郎
僕にとってインドは初めての海外で、ワクワクしていました。インドは大量のゴミがポイ捨てされていたりしました。このような現状は日本では目にすることがないと思います。ここで、インドという国が汚いのか、日本が綺麗なのかという疑問が生まれました。
ラグビーを通しての交流はKISSの学校とスラム街の子供たちとしました。1番印象的なったのはスパイクを履いている子と履いてない子か一緒に仲良くラグビーをやっていたということです。ラグビーをやるにはスパイクは必需品だと思っていましたが、ラグビーをやりたいという意欲と楽しめることが大事だと言うことがインドの子供たちを通じて分かりました。しかし、スパイクを履いていない子が履いている子に踏まれているところを目にするとスパイクや靴を挙げたいという気持ちが出てきました。これからは、インドだけではなく、多くの国に行き日本との違いを見つけ、ラグビーでも関わっていきたいです。
優太
今回のインド研修では今までになかった思いやたくさんの経験をすることができましたその中でもラグビーというスポーツはどんな人でも心をつなげることができまた多くの笑顔を届けてくれるスポーツなのだということを多くの人から学ぶことができました。こんなスポーツに出会えたのは周りの人、父のおかげです家族に感謝しながらまたインドで繋がった人のことを思い出しながらラグビーをプレイしていきます。
順正
インド研修は、大変なものになると覚悟はしていました。しかし実際は想定の6倍楽しくとても面白く僕の人生に置いて強烈に濃い一週間になりました。インドではスラムやKISSを回りましたが、どの子供たちもラグビーに対する活力が大きく感動しました。何かこの子供たち、そしてこのような子供たちが暮らす環境改善に対してのために将来動けるようになりたいです。
今回、僕らの旅をサポートしてくれた、現地の日本人の方々のおかげでスムーズに活動でき濃い旅をすることができました。本当にありがとうございました。
真臣
最初インドに行く前は、KISSの子供たちやスラムの子供たちに対して危なっかしいとかスポーツを楽しまない人達なのかなと思っていたがいざ行ってみると、KISSの子供たちもスラムの子供たちもみんなみんな元気で一生懸命ラグビーしていて素晴らしいと感じた。インドに行く前感じていたことと真逆な子供たちですごいびっくりした。